トリノ五輪フィギュアスケートで荒川静香(24)が、女子シングルのフリープログラムが行われ、ショートプログラムで3位につけていた荒川静香は、フリーで125.32点をマーク。合計191.34点として、金メダルに輝いた。日本選手のフィギュアスケートでの金は初の快挙。これまではアルベールビル五輪の伊藤みどりの銀が最高だった。
村主章枝(avex)はFPで113.48点、合計175.23点で4位で、惜しくもメダルに届かなかった。2位はサーシャ・コーエン(米国)、3位は前回銀のイリーナ・スルツカヤ(ロシア)。
イナバウアーで世界を制した。イナ・バウアーとは、1950年代に活躍していた西ドイツ・Ina Bauer選手が初めて行い、彼女の名前が由来となった技で、片方のひざを曲げ、もう片方の足は後ろに引いて伸ばした姿勢で
両足のトウを外側に大きく開いて横に滑るものである。荒川静香は、彼女の柔軟性を生かし、さらに大きく上体をそらしながら滑り、美しい滑りを披露していた。
2004年世界選手権で金メダルに輝くなど、トリノ五輪代表選手の中でも一歩抜けた実績。「しーちゃん」の愛称で呼ばれ、166cmの長身から繰り出される迫力あるジャンプ、日本人離れした長い手足を生かした世界屈指のキャッチフットスパイラルを武器とする。小学校3年で3回転ジャンプを成功させるなど早くから頭角を現し、1994、1995、1996年と全日本ジュニア選手権を3連覇。1997年にシニアへ転向すると、いきなり全日本選手権を制し、16歳で1998年長野五輪代表に選ばれる。本番では13位に終わるも、4年後の飛躍を大いに期待されていた。しかし、長野五輪後にスランプに陥り、村主章枝との代表争いに敗れ、2002年ソルトレークシティー五輪への出場権を逃した。
しかし、2003年から練習拠点を米国へ移すと、この年のユニバーシアード、冬季アジア大会を連続で制し、見事な復活を遂げる。そして、2004年の世界選手権ではフリープログラムで3回転-3回転-2回転のコンビネーションを含む7種類の3回転ジャンプをすべて成功させ、技術点でめったに出ない満点の6.0を獲得して世界チャンピオンとなった。今回トリノ五輪を競技生活の集大成とする荒川。2005年は世界選手権で9位、今季中国、フランス杯ともに3位と精彩を欠き、ファイナル出場も逃した。しかし何とか調子を取り戻し、12月の全日本選手権では村主に続く3位。2大会ぶりの五輪出場を決めた。トリノの大舞台で、貫禄の演技で大輪の花を咲かせた。
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